コップ一杯の水に食器用洗剤を一滴垂らす
たちまち混ざり合って
見た目では洗剤が入っていることはわからない
ひとたびそれをグルグル掻きまわすと泡が立つ
私たちは誰しもみんな純粋なコップの水で
だけど内側に憎しみや怒り、悲しみや不平不満という洗剤を
知らず知らずのうちに垂らし続けてきて
ちょっとしたきっかけで「問題」という名の泡を発生させる
これまでヨガとして聞いてきたのは
その泡を立てないように
意地でもコップを動かさないように
泡が立ってもいかにも立っていないかのように
例えるとそんな感覚
まるで泡は悪者扱い
私たちの学び舎であるワナカムヨガスクールでは
私たちの師であるマスター・スダカーは
既に混ざっている洗剤を
これから入ってしまうだろう洗剤を
いつどうやって水と洗剤に分けるか
どうやったら純度の高い水のままでいられるかを教えてくれる
洗剤を排除することを勧めることもなければ
泡が立つことも悪いとは言わない
内面に限ったことではなく肉体も同じ
痛みは避けるものではなくて
根こそぎ根本から取り去らないと
見えていないようで蓄積している洗剤と同じ
ヨガは誰から学ぶかで
その後の人生が大きく変わる
それは教わる根本が異なるから
古典ヨガ始めませんか